本の紹介「もしも一年後、この世にいないとしたら。」

突然ですが、死に向きあったことがありますか?

獣医師は死に向き合う職業であり(医者からすると甘いとも言われそうですが)、とくに大学のような紹介病院で診察をしていると、自分の治療技術とは関係なく、救えないことがたくさんあり、どうにもならない無力感に苛まれます。

一方、自分の職業とは関係なく、人の死というのを意識することも増えました
僕は幸い身近な人の死というのを意識することがそれほどなく過ごしてきたのですが、それでも、アメリカに留学している間に祖母の死に遭遇し、8年前には、もう一人の祖母と父を同じ年に亡くしました

とくに父を亡くしてからは、人の命というものには終わりがあることをより強く意識するようになり、また自分の命も限りあるものであることも以前より意識するようになりました。そのためなるべく毎日を大事に過ごしたいと思っていますが、それでもいつ急に命の終わりを迎えるのか、それを告げられるのかということはわかりません。

そんななか、今回たまたまamazon kindle unlimitedで出会ったこの本を読みました。この本は、国立がん研究センター中央病院で精神腫瘍科で多くのがん患者さんと向き合ってこられた清水 研先生の書かれた本です。

この中で出会った自分が忘れずに毎日過ごした方がいいと思われる言葉をメモしておきます。きっとみなさんも同じ気持ちになってもらえると思います。

  • 自分の人生がいつ終わりを迎えるのかは誰にもわからない。だからこそ、今生きている瞬間をかけがえのないものとして大切にするそれは大切なことを先延ばしにしないことである
  • 人は死の直前になって、心のままに生きていないことに気づく → 働けなくなったときに、自分の存在価値を感じられる生き方をする = 今を大切にするために、自分の「want」に向き合う
  • 他人からの評価に縛られていてもあまり幸せにはなれないため、それよりも自分の気持ちに素直に従って生きても良いこと、自分にとって大切だと思う人との時間を優先すること、今ここにある時間を十二分に味わうこと
  • がんの告知を受けたあとの変化:人生に対する感謝→新たな視点(可能性)→他者との関係の変化→人間としての強さ→精神性的変容 
  • 苦しみを癒すのに必要なのは悲しむこと
  • 苦しい立場でも「誰かのために頑張りたい」と思うことが生きがい(希望)になる
  • 様々な喪失を認め、新たな現実と向き合う力を「レジリエンス」といい、人はそういう力をもつ
  • マルチン・ルター「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」: 死ぬとわかっていても、人は精いっぱい生きる
  • 10年後がないとしたらなんのために今を生きるか → 今日1日があることに感謝する
  • 1年後自分が病床に伏していると仮定したら、1年後の自分が今の自分を振り返る際に、今の生き方を後悔しないようにする
  • 今日1日をこの様にすごせることは当たり前ではない、ということを意識することは、今、ここにある自分を大切に生きることにつながるでしょう
  • 死を見つめることは、どう生きるかを見つめること
  • 一度死を覚悟した人の言葉「今、生き延びた自分はやりたいことをやる人生を大事にしたいと思うようになりました。1日一生。1日1日を大切に過ごしたい。今を生きなければ意味ないと強く思います。病気になるまでは、いろんな人に気を遣っていた人生だったなと。死ぬ時はひとりだと知っていると、周りを気にしていた自分って何なんだって心底思うんです。今起きていることはただの『普通』ではない。『普通』の連続が『幸せ』なんです

ここにあるように、死を見つめることは、どう生きるかを見つめることだと思います。ぜひ一度手にとってみて、どう生きるかを見つめてみませんか。